2014年8月16日土曜日

実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していく(性神経症について)

妻が妊娠し、子供が生まれてから、レスになり、一言で言えば週1、2回の「減オナ」程度で、数年経過してきたが、最近出会ったいくつかの文献に衝撃を受けたため、オナ禁、正確にはエロ禁を再開することにした。特に思想もなく射精していたので、書くことも無く、数年に渡り殆ど更新していなかったが、今回自分が知った情報は、オナ禁戦士(と一般的には呼べばいいのかな?)には非常に有用と思われるため、今頑張っている戦士、今後頑張る戦士のための助けになることを祈り、引用させていただく。 エロ動画等インターネットで手に入るメディア情報から性的行為を行うことはインターネットポルノや、サイバーセックス依存と呼ばれる(*1) 。検索すればインターネットポルノの有害性について書かれた無料で手に入る情報がいくつかあるが、日本語では宗教関係のページがヒットすることが多い。勿論、中には有用な情報もあるが、特定の宗教に基づいた考えとして発信したいわけではないので除外させていただく。

1. 実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していく (V.E. フランクル)  
 フランクル氏は精神科医で、ナチスの収容所での体験を述べた『夜と霧』が国内では最も有名と思われる。氏は、人間には生きる上での意味への意志があると説き、精神療法の一つであるロゴセラピーを創始した。自分は『夜と霧』は以前から読んで、そのリアリティに戦慄していたが、それだけだった。今回ひょんなことで氏のロゴセラピーの文献を何冊か読んで、氏が世に氾濫するポルノについて言及している一節を目にして衝撃を受けた次第である。以下その一節を引用する。(*2)
引用開始"われわれは、こんにち至る所で、(中略)意味への意志が著しく欲求不満に陥っているのを見てとることができる。(中略)この無意味感は私が「実存的空虚感」と呼んでいる空虚感を伴って現れてくる。そして、この実存的空虚感の中に向かって性的リビドーが増殖していくのである。このことによってこそ、こんにち広まっている性的インフレーションも、最終的に説明されうるのである。インフレーションというものはすべて、金融市場におけるインフレーションと同じく、価値の低下をもたらすものである。正確に言えば、性的インフレーションの流れの中で性欲の価値低下が起こるのは、それが非人間化されるかぎりにおいてである。人間的な性欲は、まさに単なる性欲以上のものであり、それが性欲を超えた人格的関係の表現手段であればあるほど、単なる性欲以上のものなのである。"引用終わり
氏が述べた「実存的空虚感にリビドーが増殖する」という記述に心底はっとさせられた。エロ動画を観たくなるときの心の状況は、「心の隙間」があるときに限られていた。忙しい中では自然にエロ動画からは遠ざかっていた。忙しい仕事も片付けて、ふと暇になったときに、どくどくとエロ動画欲が湧いてくる。その「隙間」こそが「実存的空虚感」であったのだと思い知ったのだった。

 ◇ ◇ ◇ 

頭ではっきりと分かったことは、エロ動画そのものにも女性蔑視的な視点等有害な副作用があるが、そもそもエロ動画を観てしまう根本的な原因は「実存的空虚感」の存在である。エロ動画そのものの問題だろうが、本質的にはこの空虚感の存在こそが問題なのだ。エロ動画は空虚感を消すための一つの手段でしかなかったのだった。この空虚感そのものをなんとかしないことには、いくら禁欲しても、無意味なのである。空虚感がある限り、またいつかエロ動画を観る日がやってくるのだろう。

 ◇ ◇ ◇

 さて、もう一つ大切に保管している名言を引用させていただく。これはおそらく10年ほど前、wikiなどが無かったときに京都大学医学部の学生が作成したデータベースに記載されていたFAQで手に入れたものだが、元ページを失念したため、引用元を示せないがお許しいただきたい。
以下引用

2. 「問」自慰行為の快楽に、弊害はありますか?自己満足に浸るなら、害はなさそうですが。 「答」  現代は、性に関する情報が氾濫している。  なぜなら、商業主義、人の注目を引くには、人類が抱える欲望、性欲に訴えると容易ゆえ。  だから、誰も彼も、衣服も理性も、脱ぎたがる。  その中にあって、丸裸にされた我々は、数分毎に欲情する、動物並の頭脳を持つ。  性欲に関する、神経回路だけが、太くなり、何を見ても、性欲のために、思索が断絶する。  もし、嘘だと思うなら、禁欲すると良い。  性の妄想が消え、ストレスが消えた暁には、どれだけ集中できて、どれだけ知的になるか。  知性の喜びを知れば、サルからヒトに進化する。  また、いかなる快楽の裏にも苦痛がある。  性欲に溺れると、次第に心が痛がりになる。
◇ ◇ ◇ 

1の文献で氏は、非人間化された性欲(つまり相手が誰でもいいってこと、風俗とか、エロ動画とか)の段階にある人間は「性神経症」の状態にあり、未熟な性心理発達段階であると述べているが、2の引用で述べられている内容も「性神経症」の症状と思われる。神経回路が太くなり〜ってのは、依存の快楽にかかわる神経(A10?)の話か?

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頭では分かったが、結局どうすればいいのか、という点については自分也にまとめてみると 概ねは依存症に対する心理教育と認知行動療法的なやり方と同じではないか。 
・意味への意志が訪れるまでエロ動画を観ずにどっしり待つしか無い  
 実存的空虚感は辛い、それはどうしようもない。が、エロ動画を観てもその辛さが増すばかりという事実を如何に忘れないことが大事か  
 意味への意志とは、自分也に変換すると、要するに生き甲斐とか愛とか、とかく現代は上滑りしがちな言葉によって表される存在  
 ※氏は「意味への意志」は探求するものではなく、「待つ」ものだと述べている。
・自然な恋愛をして、愛せる相手を見つける、その上で重要なのはポルノへの暴露をできるだけ減らすこと。
 エロ動画を観ている限り、唯一無二の愛を発見する過程にステップアップすることはできないと思われる(エロ禁して彼女できるってパターンは、要するに性心理発達レベルがエロ動画から離れることで発達したってこと)

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1. Jpn J School Health 54;2012;152-161
2. V.E. フランクル 『人間とは何か 実存的精神療法』

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